仕事柄このようなご質問、ご相談を頂く機会が多々あります。当然、相談者の真意を探るため更に詳しいお話しを伺っていくのですが、多くは二つの結果に至ることが見受けられます。
一つは「認知症の方に対して、どのような気構えを持つべきなのか」という姿勢の問題を相談者が知りたかったというもの。
もう一つは「認知症の方に対して、具体的にどのような言葉がけや行動を取るべきなのか」というアクションの部分を相談者が知りたがっているもの。
これら二つの共通事項として、「認知症の方に対する接し方」が上げられます。接し方を学ぶことは認知症の方への理解の第一歩であり、非常に大切なことです。
しかしここで注意しなければならないことが、相談者が質問として言葉として口に出したことと、相談者自身の想いが上手く折り重なっている状態にあるかということです。
具体的には何故それを今知らなければならず、知りたがっている事柄を現時点で正しく受け止められる状態に相談者があるか、ということをしっかりと支援者が確認していく必要があるのです。
相談者への対応
認知症はある日突然発症するものではありませんが、核家族化も進む日本では親子がそれぞれ離れて暮らすことが当たり前にもなっています。
久しぶりに帰省した子供が親の身なりや言動に対して「あれ?おかしいぞ」と認知症の可能性に気付くことも多く、その事実はまるで不意打ちのようにある日突然我が身にのしかかってくるのです。
こういったケースでは特に子供は自らの心の準備もないままに、しかし認知症に対する何かしらの対応はしなければということで相談に来られるのですが、ここで大切なのは「認知症に対する正しい理解」ができているかということを支援者は見誤らないようにすることです。
相談者の責任感があまりにも強いと、「しっかり認知症を理解し、自分自身が正しい対応を行えるようにならないといけない」と考えらえることが多いようです。ですから、まずは認知症の診断結果の有無を確認した上で、それが病気であることも含めた理解ができているか、ということと同時に、「その事実をきちんと受け止められているか」ということを支援者は見極めなければなりません。
その時は冷静であったとしても人の気持ちは揺らぐものですので、ここでの見極めには多くの時間をかける場合もありますし、場合によっては相談者との密なる信頼関係構築を目指す必要も出てきます。その上で、相談者が知りたがっていることを率直にお伝えする場合もあれば、言い回しを変えたり、まったく違う角度からお答えさせて頂くこともあります。
3つの確認ポイント
・認知症に対する正しい理解ができているか
・認知症は病気であることも含めた理解ができているか
・その事実をきちんと受け止められているか
認知症の家族とだって「喧嘩してもよい」
「認知症の父がいるのですが、私がこれだけはしないで欲しいと言っても結局はダメで、それで喧嘩にもなってしまいます。そこで例えば火の取り扱いをやめさせたい場合の時など、どんな言葉がけをすればいいのでしょうか?なんとかうまく喧嘩しない方法もあれば知りたいのですが」
このような相談を受けたことがあります。相談者は一番最初に「認知症」という言葉を繰り出していましたから、ある程度の理解しているのはないかとも思いましたが、話を聞く中で実際は違うことが分かりました。
おそらく、昨今これだけメディアで認知症が取り上げられた結果、言葉だけが相談者の脳裏にインプットされたのだと思います。
実際に更に話を伺っていくと、相談者もかなり疲れ果てており、認知症への理解も漠然であったことが分かりましたから、初回で私が対応させて頂いたのは「認知症の理解を進めるためのお話」と「火の取り扱いに対する対応方法」そして何より「喧嘩しても良い」ということをお伝えしました。
なぜ「喧嘩してもよい」と伝えたか
すると相談者は「喧嘩しても良い?何故」とでもいいたげな表情を浮かべていたので、「人は神様にはなれません。どんな人でも腹が立つこともあれば、怒ることもあります。親子が喧嘩することは寧ろ普通のことではないでしょうか?」
しばらくして、相談者は「そういう言葉を言って欲しかった」と安堵の表情を浮かべ初回の相談は終了となりました。
この相談に限ったことではなく、日々様々な出来事に対して「ほんの少し肩の力を抜くこと」により見える景色が変わってくるものだと思います。この力を抜くそのきっかけ作りもまた支援者の大切な役割なのかもしれません。