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生活相談員が出会った利用者様~ターミナルケアに寄り添う~

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生活相談員が出会った利用者様~ターミナルケアに寄り添う~


車椅子に乗る高齢者と介護士の手元
 介護職員からスタートして在宅のケアマネージャーまで、本当に多くの利用者様に関わることが出来ました。
 今回は、その中でも特に印象深い利用者様を紹介します。

出会い

 Aさんが家族に付き添われ介護施設に入所してきた日、私は生活相談員として入所の手続きを行いました。
 車いすに座ったおばあちゃんからは上品で知的な印象を受け、「これからよろしくね」と優しい笑顔で挨拶をしてくれました。
 入所当時は足が少し悪いというだけで、身の回りのことはある程度ご自分で出来ました。
 遠方のお友達に手紙を書いたり、他の利用者様とのおしゃべりを楽しんだり、介護職員に対しても、まるで自分の孫に接するように冗談を言い合う、良い関係を築いていました。

Aさんの変化

 Aさんは施設での生活にも慣れた頃から、少しずつ足の具合が悪くなりました。
 両足がしびれて自分の力で立ち上がることが出来なくなってきたのです。
 ベッドから車いすへ移乗することや、トイレの便座に自分で移ることが出来ず、誰かの手を借りなくてはならないほどADL(※日常生活動作)が低下していきました。
 それでも、Aさんはいつも明るく振舞い、介助してくれる職員には「いつもありがとうねー」と笑顔でお礼を述べていました。

 両足のしびれや倦怠感が一向に良くならず、大きな病院でMRIという脳の検査を受けるため、受診に同行しました。

 検査の後、医師からは
「脳に腫瘍があります。手術ができない場所だからどうしようもできない」と言われました。
 予想もしていなかった医師からの言葉でした。

 検査結果を聞くために診察室にいた私もAさんも言葉が出ませんでした。
 頭が真っ白になり、その時のことはあまり覚えていないのですが、
 帰りの車中、Aさんがぼそっとつぶやいた「もう治らないってことは、もうすぐ死ぬってことだよね」という言葉が私の胸に突き刺さりました。

病気を受け入れたAさんが選んだ選択

 Aさんのガン告知は、私だけでなく家族や介護職員、看護師にとって大きな衝撃でした。
 医師には余命半年と宣告を受けた事や、Aさん本人も一緒に医師の説明を聞いてしまったことで精神的に落ち込んでいるという内容が家族にも伝えられました。
 当初、Aさんの息子夫婦は母親に苦しい思いをさせたくないと、緩和ケアを実施している病院への入院を希望していました。
 しかし、Aさんと話し合いが何度か繰り返され、やはりこのまま施設で最期まで看取ってほしいと申し出がありました。
 
 こうして、Aさんに対するターミナルケアの取り組みがスタートしました。
 私にとっても、ほとんどの介護職員にとっても「最期まで施設でケアをする」事が初めてでしたので、戸惑いと責任の重大さを感じていました。

 高齢という事もありAさんの病状は緩やかに進行していきました。
 両手・両足のしびれに加えて、ご自分で力を入れて身体を動かす事や、座っている状態を維持することができなくなりました。

 少しずつ口から食事を摂ることができなくなりキザミ食、ミキサー食、ついには経管栄養へと進みました。

 意識レベルの低下も徐々にみられ、Aさんの顔から笑顔が消え、発語も減り、寝ているような状態が続きました。
 ついには心臓の働きが弱まり、血圧が低下するとともに徐脈の状態でした。

 こうやって文章にするとあっという間の出来事のようですが、がんの告知を受けてから死の直前まで2年の歳月がありました。

ターミナルケアを取り組んで

 Aさんの状態が少しずつ悪化していくたびに、主治医、看護師、栄養士、介護職員、介護支援専門員、生活相談員というAさんに関わる全ての職員がケア方針を話し合いました。
 Aさんのターミナルケアが始まってから間もなく、生活相談員から介護支援専門員へ職種が変わり、私のAさんへの支援内容も直接的ではなくなりました。
 介護支援専門員として施設でのターミナルケアの取り組みをプランに落とし込み、緊急時の対応方法や、看護職員・介護職員による見廻りの回数も増やしました。

 変わったのはケアプランだけではありません。
 ターミナルケアという特殊な関わり方が、普段関わっている介護職員の意識を変えました。

 それまで、何となく提供していた介護サービスも、一つひとつ確認しながら行うようになりました。
 Aさんが好きだと言っていた歌謡曲を枕元で流し、家族の写真を飾り、時には口紅を塗ってあげたり。
 悲しいだけじゃない、つらいだけじゃない、冗談を言って笑いあうことはできなくてもいつも話しかけて、残り少ない時間を大切にしよう。

 そんな介護職員の姿勢は、ターミナルケアの素晴らしさを私に教えてくれました。

 安定した状態と危険な状態を何度も繰り返し、徐々に弱っていくAさんは、とうとう危篤状態に陥りご家族も泊まり込んで、見守っていました。

 夜勤職員から
「今、Aさんが息を引き取ったよ」という連絡が携帯電話に入った時、私はちょうど子供を連れて夜空に輝く花火を見ていました。

 あれから10年以上たっていますが、夏祭りの花火を見る度にAさんの優しい笑顔を思い出します。
線香花火

まとめ

 介護の仕事に携わっていると、避けては通れない「利用者様の死を受け入れる」ということ。
 何度も利用者様の死を経験してきましたが、これほどまでに死について考えさせられたケースは先にも後にもありません。
 病気を受け入れ、自分の死を受け入れ、それでも穏やかに人生の最期を過ごしたAさん。
 その最期のお手伝いをできたことを誇りに思います。

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