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有料老人ホームで出会った印象的な利用者さん~もう一度舞台へ~

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有料老人ホームで出会った印象的な利用者さん~もう一度舞台へ~

楽しそうなマダム
 ケアマネージャーとして有料老人ホームに勤めていた頃、一人の利用者さんの担当を行ったときの話です。たか子さん(仮名)は当時要介護4の女性で、車いす生活を送っていました。
 日常生活動作のほとんどに介助が必要であり、意思疎通も難しいところがありました。そんな出会いから2ヶ月程経過した頃、脳に水が溜まっていることと、手術が必要であることが分かり、ほどなくして病院に入院することとなったのです。

 検査の結果、正常圧水頭症であることが分かり、手術へと至ったのですが驚いたのはその術後の変化でした。特に認知機能、意識レベルの改善は目を見張るものでした。
 アルツハイマー型のそれとは違い、正常圧水頭症は外科的な処置を施す事で実際改善が図れることは知識としては持ってはいましたが、目にしたことはなく、いざ目の当たりにすると驚きを隠せませんでした。

 まるで別人、そんな表現がこれほどまでにぴたりと当てはまることも、それほどないと思います。
 術前は、常にぼやっと力のない表情を浮かべていたのが、術後はしっかりと前を見据え、発する言葉と共に豊かな表情で感情を表現さ れるまでになっていました。
 ある意味ではこれこそが本当の意味での出会いだったのかもしれません。

有料老人ホームに戻ってきて

 術後から3ヶ月リハビリテーションの期間を得て、たか子さんは有料老人ホームに戻ってきました。
 その頃には車いすを自力操作することや、何かに掴まることで安全な立ち上がりまでもが可能になるなど、日常生活動作や、認知機能面も要介護4であることが到底信じられない程の状態改善をはたすことができたのです。

 しかし、ここまでの状態改善は確かに喜ばしいことではあったのですが、これはあくまで医療機関による集中的なリハビリテーションの成果によるところが大きく、有料老人ホームに戻ってくることで回復したたか子さんの機能が衰えてしまわないかと、危惧しなければならない点も同時にあったのです。

 私の勤めていた有料老人ホームは介護付きでしたが、特に専門的なリハビリスタッフが常駐しているわけではありませんでしたから、医療機関で実施するようなリハビリテーションを継続して行うことは困難だったのです。
 たか子さん自身も「もっと元気になって、一人で歩けるようになりたい」というはっきりとした希望を抱いていましたから、私も含め当時のスタッフが新たな課題と向き合わなければなりませんでした。

長い、長い、ケアマネジメントの始まり

 たか子さんの当時の介護度は見直しにより、要介護2となっていました。たか子さんは自身の身体の回復の結果と喜んでおり、更に改善に向けて頑張りたいと前向きな姿勢を強めていました。
 そこで私はたか子さんの現在の心身レベルを評価し、目指したい姿、それに要する時間と、過程の中でクリアしなければならない課題を抽出しました。
 
その結果、3ヶ月毎にケアプランの見直しを行いながら、少しずつ目標と課題とが現実的に上向きになっていくような状態を作り出していくことにしたのです。

我慢の時期

 有料老人ホームに戻ってきてから1年程経った頃にはたか子さんは歩行補助具があれば一人で歩けるまでに回復しており、介護度も要支援2となっていました。
その頃になると、「昔のように舞台に立ちまた歌えるようになりたい」と言葉にされるようになりました。
 確かに1年かけ、有料老人ホームという限られた資源の中、スタッフと工夫しながら時間と費用をかけた成果として、歩行能力に格段の違いが生まれたと言えども、それでもそれはあくまで施設の中に限った話でした。
 それを舞台のある場所まで外出できるようになり、煌びやかなドレスを身にまとい、多くの観衆の前で歌を歌えるようになる、というのは夢物語までとは言わなくとも、しかし現実的にそこまで到達できるのか、私自身未知の領域に足を踏み入れる思いでした。
 そして、ここからが私とたか子さんにとって一番長い「我慢の時期」にもなったのです。

夢の実現

 思い返せば当時、ある程度のリスクを覚悟すれば舞台にもっと早く立つことはできたかもしれません。
 それは転倒のリスクが一番大きな所でしたが、しかし私にとって舞台に立つことはたか子さんの人生の通過点でしかなく、その後も安心して生活を送るためには予測できるリスクの芽は可能な限り摘まなければなりませんでした。
 その結果、安定した歩行能力維持と、危険回避に必要な判断力や理解力を自立させることでした。
 これらの機能を養うためにたか子さんのはやる気持ちを抑えながら、1年の我慢の時期を過ごしていただき、ついに舞台に立つという夢の実現に至ったのです。
舞台に立つ女性

まとめ

 多くのケアマネジメントが現状の維持、あるいは緩やかな悪化に留まっているのは、高齢者の心身が落ちていくことが前提である、それが全てなのでしょうか。
 人の肉体を支えるのは魂あるいは精神と考えた時、自立したケアマネジメントのためにはどれほど高齢であったとしても活き活きと目をかがやせることができる夢が必要なのだと私はそう思います。

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